第6話:間(ま)を読む日本人
機微(きび)のいろ:第6話
“間(ま)”という不思議な感覚
日本人(にほんじん)は会話(かいわ)や行動(こうどう)のなかで、「間」というものをとても大切(たいせつ)にします。この「間」は単(たん)なる時間(じかん)ではなく、空気や気配、空間の“余白”のようなものです。
沈黙(ちんもく)は無意味ではない
会話(かいわ)の途中(とちゅう)で沈黙(ちんもく)がおとずれても、日本(にほん)ではそれが気まずさや失敗(しっぱい)を意味(いみ)するとは限(かぎ)りません。考えている時間(じかん)、相手(あいて)にゆだねる時間(じかん)として、自然(しぜん)に受(う)け入(い)れられています。
あえて言(い)わない、が伝(つた)わる
ときには、「言(い)わない」ことが最大(さいだい)の配慮となることもあります。たとえば誰(だれ)かが落(お)ちこんでいるとき、ムリに言葉(ことば)をかけず、ただそばにいる。それだけで「気(き)にかけてるよ」と伝(つた)わるのが日本(にほん)の文化(ぶんか)なのです。
“察(さっ)する”と“間”は表裏一体(ひょうりいったい)
察する力(ちから)と間を読む感覚(かんかく)は切(き)っても切(き)れない関係(かんけい)にあります。相手(あいて)の立場(たちば)を思(おも)い、状況(じょうきょう)に応(おう)じて沈黙(ちんもく)を選(えら)ぶ。それは“何(なに)も言(い)わない”のではなく、“すでに伝(つた)わっている”という信頼(しんらい)のかたちです。
総括(そうかつ):間を読むという美意識(びいしき)
「間を読(よ)む」ことは、単(たん)なる技術(ぎじゅつ)ではなく、美意識(びいしき)の一部(いちぶ)です。急(いそ)がず、押(お)しつけず、余韻を残(のこ)す。そんな間の文化(ぶんか)は、これからのAI時代(じだい)にも残(のこ)していきたい大切(たいせつ)な“こころ”のありかたです。