第3話:察するということ

機微きびのいろ:第3話

さっする文化ぶんか技術ぎじゅつ

日本にほんでは、「察する」ことが美徳びとくとされます。「わなくてもわかる」「空気くうきむ」といった表現ひょうげんは、この文化ぶんか端的たんてきにあらわしています。

言葉ことばえたコミュニケーション

家庭かていでの会話かいわ職場しょくばでの打合うちあわせなど、はっきり言葉ことばにせずとも、相手あいて表情ひょうじょう、ちょっとした沈黙ちんもくから意図いと読み取る。これはまさに「察するちから」の発揮はっきです。

たとえば、部下ぶか体調たいちょうわるそうなとき、「大丈夫だいじょうぶ?」とわりに「今日きょうはやがってええよ」とう。その一言ひとことで、言葉ことば以上いじょうおもいやりがつたわります。

学校がっこうでの「察し」トレーニング

日本にほん学校がっこうでは、ちいさいころから集団しゅうだん生活せいかつとおじて、「まわりとわせる」ことをまなびます。

給食きゅうしょくくばかた掃除そうじ分担ぶんたん運動会うんどうかいでの練習れんしゅうなど、われなくてもさっしてうごちからもとめられます。

さっしすぎのリスク

一方いっぽうで、「察しすぎ」はこころ負担ふたんにもなります。つね空気くうきみすぎることで、自分じぶん気持きもちをおさえたり、本音ほんねえなかったりすることも。

わなきゃつたわらない」こともある、という視点してんわすれてはいけません。

外国人がいこくじんからた「察する文化ぶんか

外国人がいこくじんにとって、「察する」は一種いっしゅ超能力ちょうのうりょくえることもあります。「なぜわない?」「どうして直接ちょくせつかない?」と戸惑とまどひとおおいです。

日本語にほんご学習者がくしゅうしゃにとっても、文法ぶんぽう語彙ごいだけでなく、「空気くうきむ」「察する」ちからまなぶことはおおきなかべになります。

まとめ:「察する」ことのうつくしさと課題かだい

「察する」文化ぶんかは、日本人にほんじんやさしさやおもいやりのあらわれですが、とき息苦いきぐるしさや誤解ごかいむこともあります。

これからの時代じだい、「察するちから」と「つたえるちから」のバランスばらんすつことが、よりよいコミュニケーションにつながっていくでしょう。